日本を離れてから思うのか、大人になってから思うのか、多分両方だと思うが、子供の頃の四季折々の行事って大切だと思う。
二月二日は節分だったみたいだけど、今はそう聞いても何もしないわけだが、子供の頃に豆をまいたことや、こっそり布団の中で豆を食べた事など思い出したりする。
そして、思い出はいつも気持ちを暖かくさせる。
他の行事では、ひな祭りに母がちらし寿司を作ってくれた事や、冬至にゆず湯に入ったとか、初夏に菖蒲湯(しょうぶゆ)に入ったとか、季節の折々の些細な出来事が大人になると妙に懐かしく思えてくる。
先日、フリーズドライの柚子を蕎麦に入れたのだが、その時に思い浮かんだのが柚子湯の香りだった。お風呂より、ポン酢に柚子を入れて鍋を食べた方が人生で回数が多いのに、なぜか浮かんだのはお風呂の思い出だった。
ひな祭りは途中で雛人形を出すのが面倒で出さなくなったが、ちらし寿司を作るだけで気分はひな祭りになれるものだった。家庭で作るプロセスも行事の一部だと思う。
こうゆうのが情操教育なんだろう。
あと少しづれるが、最近は幼児の英語教育で子供が起きている間はずーっと英語の音楽などをかけっ放しにしている家庭もあると聞く。
私の一意見だが、英語の音楽と同じだけ日本の音楽も聴いた方が良い。それは大人になって、アメリカの空で夕日を見た時に、夕焼け小焼けの歌が思い浮かんだりして思ったから。
他に、桜を見て桜の歌や春の歌を思い出したり、雪を見て雪やこんこんが浮かんだり、季節と歌がセットになっているって素晴らしいことだと今は思う。
こんな歌を思い出したりなんて、二十代の時には無かった。
番外編で、夏の終わりに石川秀美の「グッバイサマー」も思い出したりもするが。私の十代の頃は洋楽のロックが大好きだったが、大人になって口ずさむ歌はなぜか日本の歌謡曲だったりする。
食べ物の好みにしてもそうなんだけど、いつかある程度に年を取ると、小さい頃から食べていた「和食だけ」が食べたくなる。二十代の頃は、ハンバーガーとか平気な時もあったが、今は子供時代に母が作った「お袋の味」が口に合う。
結婚した当初、季節の行事や料理など作る家庭にしたいと理想はあったが、現実にするには手間暇かかりすぎて諦めになった。夫の偏食もあるし、子供もいないしどうでもよくなっていた。
最近は、Blogを通して日本の人達の生活を垣間見ると懐かしさで一杯になる。忘れていた思いが甦る。
もし、日本に住んでいたら、もし夫が日本人だったら・・・などと思う気持ちが強くなっている。いっそのこと、言葉は悪いがそうゆう人に乗り換えた方が私は幸せなのかもと最近は思う。
二月二日は節分だったみたいだけど、今はそう聞いても何もしないわけだが、子供の頃に豆をまいたことや、こっそり布団の中で豆を食べた事など思い出したりする。
そして、思い出はいつも気持ちを暖かくさせる。
他の行事では、ひな祭りに母がちらし寿司を作ってくれた事や、冬至にゆず湯に入ったとか、初夏に菖蒲湯(しょうぶゆ)に入ったとか、季節の折々の些細な出来事が大人になると妙に懐かしく思えてくる。
先日、フリーズドライの柚子を蕎麦に入れたのだが、その時に思い浮かんだのが柚子湯の香りだった。お風呂より、ポン酢に柚子を入れて鍋を食べた方が人生で回数が多いのに、なぜか浮かんだのはお風呂の思い出だった。
ひな祭りは途中で雛人形を出すのが面倒で出さなくなったが、ちらし寿司を作るだけで気分はひな祭りになれるものだった。家庭で作るプロセスも行事の一部だと思う。
こうゆうのが情操教育なんだろう。
あと少しづれるが、最近は幼児の英語教育で子供が起きている間はずーっと英語の音楽などをかけっ放しにしている家庭もあると聞く。
私の一意見だが、英語の音楽と同じだけ日本の音楽も聴いた方が良い。それは大人になって、アメリカの空で夕日を見た時に、夕焼け小焼けの歌が思い浮かんだりして思ったから。
他に、桜を見て桜の歌や春の歌を思い出したり、雪を見て雪やこんこんが浮かんだり、季節と歌がセットになっているって素晴らしいことだと今は思う。
こんな歌を思い出したりなんて、二十代の時には無かった。
番外編で、夏の終わりに石川秀美の「グッバイサマー」も思い出したりもするが。私の十代の頃は洋楽のロックが大好きだったが、大人になって口ずさむ歌はなぜか日本の歌謡曲だったりする。
食べ物の好みにしてもそうなんだけど、いつかある程度に年を取ると、小さい頃から食べていた「和食だけ」が食べたくなる。二十代の頃は、ハンバーガーとか平気な時もあったが、今は子供時代に母が作った「お袋の味」が口に合う。
結婚した当初、季節の行事や料理など作る家庭にしたいと理想はあったが、現実にするには手間暇かかりすぎて諦めになった。夫の偏食もあるし、子供もいないしどうでもよくなっていた。
最近は、Blogを通して日本の人達の生活を垣間見ると懐かしさで一杯になる。忘れていた思いが甦る。
もし、日本に住んでいたら、もし夫が日本人だったら・・・などと思う気持ちが強くなっている。いっそのこと、言葉は悪いがそうゆう人に乗り換えた方が私は幸せなのかもと最近は思う。
コメント
娘が大きくなった時にどこで誰とどんな風に暮らしているのかはわからないけれども行事や季節や食べ物を通じて「何か」を感じてくれたらいいなと思います。
しっかし不思議なのは「食」。
あたしも若い頃は洋食が好きでハンバーガーだパスタだと色々と食べる機会が多かったのに30歳頃を境に急に「ご飯味噌汁お刺身お浸し」だの「ご飯焼き魚茶碗蒸し煮物」だの「ご飯鍋物」だの「蕎麦てんぷら」なんてメニューに回帰しました。
唯さんのブログを読んでいると改めて「食べたい時に食べたい物が食べられる贅沢」を実感しています。
以前見た鳥さんちの夕飯の画像が和食でしたので美味しそうと思ったので覚えております。
最近、日本の家庭が懐かしくなっています。日本の行事や文化って素晴らしいと気づいたからかな。努力や工夫すれば多少は実現するのでしょうけどね・・・。
こちらのファーストフードでハンバーガーを食べているお年寄りを見かけると、よく食べられるなと思いましたが、それ以外に食べるのがないと気づきました。
>「食べたい時に食べたい物が食べられる贅沢」
これって年取ると本当に痛切に思いますよ。台所に立ちたく無い日とか特に。夫は冷凍ピザを食べればいいけど、私は結局は簡単と言っても雑炊作ったり、袋のラーメン作ったりして鍋が汚れるんですよね・・・。コンビニのおにぎりさえ懐かしく思ったりします。
私は風邪をひいた時や、疲れた時に素朴なメニューの日本食が食べたくなります。
普段はそんなに意識していないけれど、やはり小さい時から食べてきたものが、一番体に合うのかな?
病気の時は食事が一番好みが出ますよね。アメリカはチキンスープが定番みたいですが、私は雑炊です。雑炊は何だかんだで簡単なので普段から食べているのですが。